人間の本質は肉体にあるのか、それとも精神にあるのか
2週くらい前に風邪をひき、いまだに鼻水が止まりません!
熱も上がったり下がったりを繰り返していて(微熱程度ですが)、一向に回復に向かわないのですが、私はどうしたらいいのでしょうか…
という前振りはさておき、今日は少し前に興味深いブログ記事を拝見したので、お題をそれにいたしました。
人間の本質は、肉体と精神どちらにあるのか
フィジカルとメンタル
その記事では、かの有名な書籍「君たちはどう生きるか」を踏まえ、持論を展開されていました。
ちなみに、いつものメンバーを仕分けしてみると次の図のような感じです。
…まあ、想像通りな感じですよね。
ちょっと瀬田さんが意外で、基壱くんが驚いてたりしますけど。
この仕分けを「君たちはどう生きるか」の主人公の置かれた状況に当てはめて(お話を知らない方は申し訳ありません)行うと、ちょっと強引ですが以下のようになります。
【フィジカル派】
相手達に負けないため悩んだり迷ったりするよりも、体を鍛えたり、目に見えて効果がある行動を取ることが大切だと考える。
【メンタル派】
起こってしまったことに対し、どのように向き合うか、弱さなどをそのまま受け止め、これからどうあるかを考えることが大切だと考える。
ん~
表現力に限界を感じますね…
弱いままでいいのか?
ちなみに、書いている人も同様に手ひどい嫌がらせ(周囲はいじめレベルではないか?という)を、学生時代から社会人時代まででいくつも経験しました。
そういうものは、よくいわれる
「気を強く持つ」
「自分を好きになることから始める」
とか、そんなセンチメンタルなものでは何一つ解決することはありません。
それこそ例えたように、体を鍛え、強烈な回し蹴りなんかを食らわせた方がいくらか効果が得られると本気で思います。
自身を弱いと思っているのなら、そのままでいい訳がないのです。
強くなろうと、方法を考え、行動する、その向上心が必要です。
拝読したブログ記事を書かれた方は、「君たちはどう生きるか」では精神論ばかりが語られていることに違和感を感じた、とおっしゃっていました。
少し論点がずれてしまいますが、その状態を起こしてしまう前に、もっとなにか行動できたのではないかと考えられたのかもしれません。
それこそ、いじめっ子を撃退できるなにかを。
強ければいいのか?
では逆に強ければそれが正義か、と考えそうですが、
私もそうは考えません。
社会にある様々な問題、いじめやDV、マウンティング、性犯罪などのその根源にあるのは「想像力の欠如」だと思っています。
こんなことをしたら、相手はどれだけ痛いだろうか。
これをしたら、相手がどれだけ傷付くだろうか。
アイデンティティが重要視される今、余計に相手と自分を置き換えて考えてみる「想像力」が、ある一部で過激に薄れているように感じます。
人間の精神活動は、ほかの動物に比べて特殊で複雑です。
人間の心が生み出した「愛しい」「美しい」「優しい」といった感情を表す形容詞たちは、人特有のもであり、だからこそ人が大切にしていかなければならないものです。
強い力を持つのなら、これらをないがしろにしても許されるのか。
ただただ、信用を失うだけです。
そして最後は、満たされずに終わるものです。
まとめ
本題に戻すと
強さや力は必要だ、けれど心をなくすな
という究極の回答になりました(汗
結局、彰人さんのように私も中間派だということだったんですね。
人の心に寄り添うということ
大人になってから、愛を取り戻すということ
これらを彰人さんたちの世界を通じて、表現していけたらいいと思っています。
あ、やっぱりここでもあの2人はもめてますよw
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!